Red Velvet 러시안룰렛(Russian Roulette) MV解釈
今回のMVは似たような場面の繰り返しが見られるようなので、一緒に見てみよう。
ここでレッドベルベットは絶えずお互いをとても殺伐(=平気で人を殺傷するように気風が荒々しい)に苦しめ合っている。
まあ公式的な放送用の説明では
"一人の男を5人が同時に愛して、お互いに苦しめ合った"
といっているが
ぶっちゃけK-POPは愛に関連していない場合、死に至る病にかかるとかいうのを無理やり作るようだ w w w w w w w
なぜならMVに全く男が登場しなかったから w w w w w
それではなぜこのように残酷にお互いを苦しめ合うのか?
レッドベルベットたちの行動を見てみよう。
ジョイを殺すための、厳正な計算的科学的構造物を発明し、それを実行した。
皆んな一緒に協力して一人を殺したりもして。
人を殺す方法が本当に多様で、そうでしょう?w w w w
え?それじゃあ男のことでお互いに嫉妬し合って殺すっていう解釈で合ってるんじゃないの?
という気がする場合は、次の説明を見てみよう。
お互いが敵だというには、あまりにも仲間という雰囲気がよく感じられる場面が多い。
お互いに協力して相手を殺そうとするような表面上だけを見れば、皆全てが敵だと考えるのは難しい。
しかも、皆が加害者であると同時に皆が被害者でもある。
子供たちが見るアニメ『トムとジェリー』を見てみると、少しやりすぎだと感じるような暴力的なシーンがある。
"あれは子供たちがそのシーンを見て笑うだろうと思って作ったものなのか?" という部分をピックアップして面白おかしく作ったのが、アニメ『シンプソンズ』の'ITCHY & SCRATCHY'だろう。
これらは、残酷で暴力的なシーンを可愛いキャラクターがいることでただ"笑って受け流すように"作ったものなんだよ。
それをそっくりそのままレッドベルベットのMVに取り込んだ。
かなり怖くない?
"友達にこういう残酷なことをしても、友達が死ぬことはない。
ただ面白がっていたずらをするだけのことだ。"
という残酷な考えを無意識に植え付けるアニメーションとそのままの内容が続く。
MVの中のレッドベルベットは実際なら十分死んでしまうのに、皆んな死なずにお互いを苦しめ合っていたでしょう?
子どもたちは、お互いを殺し合う時にとても無表情で淡々としている。
そして子どもたちは、そうやって自分を苦しめているお互いを恨む姿がただの一度も出てこない。
ただカメラを見て驚く表情を作っただけだろう。
なぜだろうか?
まさかSMがレッドベルベットたちにサイコパスなコンセプトを取り入れるとはね。
以前私がDumb DumbのMVを解釈した時は、産業化時代に画一化されていた社会の弊害を描いたものだった。
今回は、過度な競争によってお互いを踏みつけ合わなければならない状況になった、子どもたちを描いたのだ。
子どもたちは結局お互いが友達であっても、それと同時に踏みつけ合わなければならない人間同士でもある。
そのような社会で生涯を生きてきたから、自分を踏みつけたと言ってお互いを恨み合うこともなく、踏みつける立場でも罪悪感を感じない。
(うーん、これは私の個人的な経験だけど、この間学校に講義を聞きに行ったら教授が出席をとっていて、"〇〇は3回欠席したから〇単位が〜...."と仰るのを聞いて思わず、'あの子一人は追い抜いたな'と考えている自分を見つけた。)
本当に...汚くて残忍な考えではあるが、事実私がA単位(=良い成績)を貰おうとするなら、誰か一人は単位を落とさなければならない。
私が一位になろうとすれば、誰かを踏みつけるしかないのだ。
こうして子どもたちはますます
緻密になって
(少しでも成績を上げたいから、あらゆる予備校で試験によくみられる傾向とか裏技を学ぶじゃない)
惨めになって
(眠っている子に悪さをしたり)
大胆になるの
(本人の目の前で悪さをやってみせる)
このように残酷な行為を
こんなにも若くて幼い女の子たちがするから
当然死ぬだろうと思ったカラス(死の象徴として有名な鳥なの?)は
お互いに苦しめいじめ合って、そういう状況にあまりにも慣れすぎてしまっても、絶対に死ぬことはないということを表している。
そんな馬鹿な、どうやって子供たちがこのような残酷な状況で生きていくことができるというのだろうか?
というわけで
MVの中のレッドベルベットたち自身を苦しめる対象とはしないカメラ、すなわち私たちを見て驚く理由は
もしかしたら、私たち自身がこの子供たちよりも、もっと残酷な世界で生きているからではないだろうか?